人狼ゲーム一般についての所感

人狼ゲームってあるじゃないですか。最近、あれをネット上の色々なところで遊んでみたので、それについての感想を書こうと思います。

 あれって、本来なら論理で塗り固められるゲームのはずなんですよね。よくあるのは、狂人が占い師を騙っている時に、真霊能の結果とズレてしまって嘘がバレるとか。でも、実際にはそういう事故はめったに起こらなくて、じゃあ、何で嘘かどうかを判断するのかというと、圧力なんですよ。言葉の圧力。

これ、騙りを行っている狂人、人狼、妖狐が頑張るのは当然、いわゆる真占い、真霊能、それから狩人も、その他村人もやるんです。お前ちょっと発言が薄いぞと。生存意欲がないからとか投票の時ここ入れてたからとか。でもそれって、全部逆にだって言えるんですよ。生存意欲があるから人外、投票で村っぽく見せようとしたから人外、有能村っぽく見せようとしてるから人外。で、その逆が通るかどうかも言葉の圧力なんです。「はあ?そういうお前は何日に××と言っていて怪しい」とか、小さなことで滅茶苦茶な言いがかりをつけるんです。で、それを村人と狼でやるならまだしも、村人と村人でも平気でやる。本当に気分が悪くなります。

 

いや、そういうゲームなんですよ?そういうゲームなのはわかってるんですけど、これ、なんだか頭を使ったゲームみたいに思えて、実は全然頭を使うゲームじゃないんですよ!今日はこれが言いたいんです。人狼は頭を使うゲームじゃない。どういうことかというと、「◯◯だから怪しい」という文言でそっくりそのまま「なぜか◯◯でないのが逆に怪しい」と言うことができてしまうのが人狼なんです。それはつまり、結局は表と裏どっちもあるということで、何もないのと同じなんです。そこからは、なんか言葉に自信が溢れてるとか、村にとって役立ってるとか、強そうとか、そういうのも表と裏どっちもあるはずなのに、そういうことで判断されるわけです。これ、現実で起こるのは仕方ないんですけれど、ゲームでやることじゃないですよ。例えば、将棋では相手が悪手を指したとして、相手のその時の反応がどうであろうが、問題はただ一つ、自分がその悪手を盤上で咎められるかどうかじゃないですか。部分的に心理戦の要素はあるけれど、究極的には心理を排した盤上の最善手が勝利につながるわけで、心理の部分はあくまでそこに修飾されるドラマなんですよ。トッピングなんです。人狼ゲームには中身がなく、このトッピングのみを扱っていて、そうなると、例えるなら酔っぱらいの喧嘩と同じで、いいパンチを繰り出せるかどうかじゃなく、コンクリートブロックで頭かち割れば勝ちみたいな、そういう暴力になってしまうんです。ゲームではなく暴力に。そうそう、心理テストで、なんかどうでもいい質問1つに答えると、お前は薄情者だとか女に汚いとかサイコパスだとか好き勝手言われるネタあるでしょ?あんな感じ。

 

だから、私は人狼ゲームをあまりおすすめしません。人と話しているから寂しさを紛らわせはするんだけれど、その先にあるのは空虚だから。映画とか小説とか見たり読んだり、それを好きな人と語り合ったりするほうがずーーーっと楽しいぞ。ゲームという分類にはなっているけれど、人狼ゲームはおすすめしません。正直に振る舞っても嘘だ嘘だと言われたり、他の人を嘘だ嘘だと言ったり、しかもそこには真の意味での頭脳戦はなく、暴力が支配する世界。楽しくないですよ。